食の好き嫌いは多くの人があるのではないでしょうか?周りでは美味しそうに食べているけれど、自分的にはどうしても受け入れられない。そんなありきたりな話題の中で、これまたありきたりな「人生の半分損している」というセリフに思うことを少し語ります。
「人生の半分損してる」は余計なお世話と言うやつじゃないか?
朝でも昼でもこんばんは、mitakehanです。
2018年夏の甲子園、秋田の金足農業がベスト4入りしたそうですね。おめでとうございます。
全力でプレーして、大逆転の上での勝利とのこと。頑張る若者は素晴らしいものです。
とはいえ生まれてこの方、野球に興味を持ったことがないので自分が何かを語ることはできないのですが。
東北在住として少しは盛り上がった方がいいのか?とも思いますが、それよりもベスト4に残った結果として滞在費用が捻出できなくなったというニュースの方が気になって仕方ありません。大丈夫なのでしょうか。
それはさておき、今回の甲子園で知り合いにあまり野球に興味がないと言ったところ「あんなに面白いのに。人生の半分損してるよ」と言われました。
余計なお世話だ――と思ったのですが、全力で否定するのも人間関係的に問題があるので、あはは――と流しました。この何とも言えないやるせなさは食事でよくある好き嫌いの場面でも感じる微妙さだなと思いこうしてキーボードを叩いているわけでございます。
どうしても鳥皮が受け入れられない
好きなものを否定されるのは非常に気分が良くないもの。
しかしながら顔を突き合わせて食事をする場面でも、どうしても受け入れられないから自分は頼まないものと言うのもあるものです。
私の場合、鳥皮がどうしても受け入れられません。
母親からの遺伝だとも言われますが、遺伝もなにも関係なくあの食感と味がどうしてもだめで、口に入るとどうしてよいか分からなくなり少々パニックになってしまいます。
昔、仕事の上司と焼き鳥に行った時に私が鳥皮を頼まなかったことに対して、「あれ?鳥皮頼まないの?」と言われ「いやぁ、昔から苦手なもので」と流したのです。
そこで上司が言った言葉は「あんなにおいしいのに。人生の半分損してるよ」とありきたりなセリフでした。
鳥皮が人生の半分を占めている上司と一緒にしないでくれ
なんとか流そうと他のメニューの話しをしてみるものの、「ここの鳥皮は旨いから!試しに食べてみなって!」と無理やり頼まれてしまい食べる羽目になりました。
強固に断ればいい、と言われそうですが、対上司という立場の違いは如何ともし難いものです。
覚悟を決めて食べてみましたが飲み込むこともできず、かといって噛むこともままならず。無理やりビールで流し込むしかありませんでした。
「どう?美味しいだろ?」と言われてもこちらはもうパニックで涙目です。
一度食べて満足したのかそれ以上はありませんでしたが、あれはそれなりに時間がたった今でも忘れることができない苦い記憶です。
食事は人間の人生の中でかなりの割合を占めていると思いますし、美味しいと感じるもので得られる多幸感は私もわかります。
にしても、もしその上司の人生の半分が鳥皮によるものだとして、こちらにまでそれを押し付けないで欲しいと思うのです。おかしいかな?
これはもう、鳥皮ハラスメントと言っても過言ではないでしょう。
私はその鳥皮を食べなかったことで不幸だと一度も思ったことがないし、むしろ食べられないものから離れることができる安心感で幸せすら感じているのに。
上司と食べた焼き鳥で少なくともその日一日分、損してしまったと思うほどでした。
今回は本当に愚痴っぽくなってしまいましたね。
人が嫌がることは本当にしない方がいい
なんとなく過去を思い出しこうしてブログに書き綴りましたが、案外似たような経験を持つ人も多いのではないでしょうか。
周りにもアレルギーでこそないもののどうしても食べられないものがある人は非常に多いです。
私もそういった経験があるため、絶対に無理やり薦めたりはしませんが知らずにプレッシャーをかけてしまっていないか自戒しなければと思った次第です。
鳥皮ハラスメントは切にやめていただきたく存じるmitakehanなのでした。
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